オリジナルアニメ黄金期の雄、中野に来る!!-山本 優ロングインタビュー

カテゴリー4[70’sパーソンズ]

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山本優氏は1973年に『ど根性ガエル』でデビューし、その後『タイムボカン』シリーズ、『機動戦士ガンダム』、『銀河旋風ブライガ―』にはじまるJ9シリーズなど、多数の作品を手がけた70~80年代のテレビアニメ全盛期を代表する脚本家のひとり。
今回、fancybox’77は、その山本氏を中野の街に招いてスペシャルインタビューを敢行。

現在の「ジャパニメーション」とはひと味違う、オリジナル作品全盛期の熱いクリエイティブ現場の話を聞くことができた。山本氏は、その代表作として今もなお根強いファンが存在する「J9シリーズ」復活新作の構想を持っているという。オリジナル作品を見かけなくなった最近のテレビアニメ界だが、山本氏は、いまのアニメコンテンツビジネスの手法とは異なる新しいアイディアを考えていた。
中野ならば実現できるかもしれない、その「アイディア」とは!?
[聞き手]吉田稜(ファンシーボックス’77)

 

-優さん、中野に来たのは何年ぶりですか?

中野といえばね、3年くらい前に「J9」シリーズ注1のイベントに呼ばれて、メカデザインの樋口一雄注2と来たかな。トークショーだったんだけど。そのちょっと前に「J9」の新しいCDアルバムが出て、発売記念で新宿LOFTで当時のスタッフなんかがそろうイベントがあって、そこに見に来ていたクリエーターの女性が声をかけて来てね。その彼女が音頭を取って、中野でファンを集めてくれて、そこで俺がしゃべったんだ。


-やっぱり「J9」は今も根強いファンがいますよね。

そうだね。全国に点在してるからね。LOFTのイベントの時にも京都から来てくれた夫婦のファンがいたな。先斗町でお店をやってる夫婦でね。後日、俺が京都に行ったときにその店に遊びに行って話したんだけど、二人とも「J9」の登場人物の名前をメールアドレスにしてたんだよ(笑)。そんなファンが今でもいてくれるんだよなぁ。


-中野は、秋葉原に次いでアニメやコミックファンが集う街ですが、優さんが活躍をはじめた頃(70年代後半)は、アニメファンという存在が確立されはじめた頃ですね。

あの頃は「アニメージュ」(徳間書店刊)のようなアニメ専門誌が登場した頃だね。創刊初期のころは誌面にスタッフの読者採点ランキングがあってね。まず声優ランキングがあって、あとは監督、脚本もあったんだ。そこで何回か、俺が脚本家部門で第3位になったことがあった。

1位と2位は不動でいつも辻真先さんと藤川圭介さん。この2人は変わらなくて、3位がいつも入れ替わってた。俺や、雪室俊一さんとか、首藤剛志あたりが出てたね注3。しばらくして声優ランキングだけになったけど、ああいうのも面白かったよね。

今はオリジナル作品が少ないから、監督や脚本家の個性は前面に出にくいんじゃないかな。俺が手がけた作品で言えば、タツノコの「ヤッターマン」シリーズは(総監督の)笹川ひろしさんのカラーが強かったし。「ガッチャマン・ファイター」だと、監督の真下耕一さんが出てきたときには、俺も「おっ」と思ったね。すげえのが出てきたな、と。映画的っていうのかな、カメラワークも「アニメアニメ」してないんだよ。あれは驚いたね。

最近は、俺も小説を書いているんだけど、読者から「山本優の書く物は映像的だ」って言われるんだよ。確かに書いているときに浮かんでくるのが「映像」なんだよね。ふつうの小説家とちょっと違って、シーンやカットを構成していかないと話が書けないんだ。良くも悪くも脚本的なんだろうね。意識した作法じゃないんだけどね、何十年も脚本を書いてきて染みついたんだろうな。

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